20年目の島唄への思い 宮沢和史さん
4 月 25 日 23 時 36 分
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THEBOOMの代表的なヒット曲で、時代を超えて愛され続けている「島唄」の全国発売から、まもなく20年の節目を迎えます。
それを記念して先月、新たにレコーディングされた曲が再びチャートイン。時が流れても色あせない「島唄」ですが、発表した当時は批判もありました。
作詞・作曲を手がけた宮沢和史さんに、島唄の20年について聞きました。
島唄の歌詞はラブソングのように聞こえますが実は沖縄戦の悲劇が歌われています。
「ウージの森であなたと出会いウージの下で千代にさよなら」という歌詞で、ウージとは、沖縄地方のことばで「サトウキビ」のこと。
サトウキビ畑の地下に掘られた洞窟で失われた多くの命への鎮魂の思い、祈りが込められた歌なのです。
THEBOOMは山梨から上京したメンバーを中心に結成され、1989年にデビューしました。
ステージから客席に飛び込むなどの派手なパフォーマンスで人気となりましたが、当時はまだ自分たちの方向性を見つけられずにいたといいます。そんなときに宮沢さんの沖縄への旅から「島唄」は生まれることになります。
「あるとき、ひめゆり平和祈念資料館というところ、そこで沖縄戦のことを知って、あの歌が生まれました。それまで、正直よく知らなかったんですよね。“どうして自分はこんな大事なこと知らなかったんだろう”そういうことへの怒りとか、それがあの歌を書かせたんです」(宮沢和史さん)
しかし初め、沖縄の人たちの反応は好意的なものではありませんでした。沖縄以外の人間が、伝統楽器「三線(さんしん)」や、沖縄の音階を使って歌うことへの反発があったといいます。
「平和を祈る、そして沖縄でこんなことがあったんだということを多くの人に知ってもらいたくて作ったのに、どうして批判を受けなきゃいけないんだっていう、そのいらだちがありましたね。『宮沢っていうのは沖縄にふらっと来て、何か感動して、またどっか行くんだろう。旅の途中だろう』みたいな印象だったのかもしれませんけど、いや僕は一生こことつき合っていこうって、そのとき思ったんです」(宮沢さん)
宮沢さんは沖縄に足繁く通っては島の人たちの前で島唄を歌い続け、そうした積み重ねを経て沖縄で受け入れられるようになりました。
島唄はその後翻訳されてイギリスやロシアでも歌われ、「大切な故郷」を象徴する曲として、今や10以上の国と地域で歌われています。
ことしレコーディングされた最新版の島唄の歌詞には、「波よ未来よ」ということばが新たに加えられています。
東日本大震災のあとに心に浮かんだ祈りの気持ちを歌ったということです。
「20年歌える歌がある。そしてそれを歌うと喜んでくれる人が今でもいるっていうことは、これはもう奇跡だなと。僕の知らないところで、あの歌に込めた思いを、いろんな人が伝えてくれるわけですよね。それはすごいことだなと思うし。そういうことを思うとやっぱり、いつまで歌えるか分からないけれども、歌い続けていかなきゃなって思いが、20年たってさらに大きくなりました」(宮沢さん)
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